小樽市公会堂小樽市公会堂
小樽市公会堂 小樽市公会堂

施設案内 Facilities

ご利用のしおり

フロアガイド

1階

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和室 杉・桐
【杉】10畳間 【桐】8畳間 【天井高】2m40cm
【空調】暖房のみ
【床】畳敷
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和室 松・竹・梅
【松】15畳間 【竹】13畳間 【梅】12畳間(炉有り)
【天井高】3m50cm 【空調】暖房のみ 【床】畳敷
【座卓】22台
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茶室
【間取り】4.5畳間(炉有り)【縦】2m87cm【横】2m87cm
【天井高】1m93cm 【空調】無し 【床】畳敷
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和室 寿
【縦】6m80cm 【横】3m50cm 【間取り】16畳間
【天井高】2m90cm 【空調】暖房のみ 【床】畳敷
【座卓】7台
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1号室
【縦】12m00cm 【横】8m80cm 【広さ】105.6㎡
【天井高】2m60cm 【空調】暖房のみ 【床】板張り
【机】30本 【椅子】110脚
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2号室
【縦】7m90cm 【横】6m90cm 【広さ】54.51㎡
【天井高】3m50cm 【空調】暖房のみ 【床】板張り
【机】16本 【椅子】40脚

地下1階

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能舞台

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9月上旬~5月下旬の間は、冬囲いで閉鎖されています。

【観客席】※3号集会室・展示室を利用して室内に150席程度設置可能です。
※晴天の場合は、屋外にも30席程度設置可能です。
※夜間使用・音響使用の場合は、別途付属設備使用料金がかかります。

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3号室
【縦】17m40cm 【横】5m20cm 【広さ】90.48㎡
【天井高】2m40cm【空調】暖房のみ【床】板張り
【机】30本【椅子】130脚
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展示室
【縦】15m95cm 【横】4m95cm
【天井高】2m30cm 【床】Pタイル

地下2階

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ホール

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ホール
【縦】18m10cm 【横】10m25cm 【広さ】185.525㎡
【天井高】4m60cm 【空調】暖房のみ 【床】板張り
【机】50本 【椅子】150脚

小樽市公会堂について

建物の概要

建物は、主に本館(正面側)と御殿(背面側)からなり、和風建築の様式でまとめ、総建坪は約267坪であった。本館は平屋建で入母屋屋根の正面中央に千鳥破風を据えて瓦葺きとした。車寄は三方を吹き放ち、屋根を唐破風とする。本館の居室は廊下を挟んで広間を左右対称に配した。御殿は「一の間」「二の間」「三の間」の3つの和室からなり、当初は杉皮葺きであったが後に銅板葺きに変えられている。武家屋敷風の屏重門と生け垣に囲まれた趣あるその風姿は花園公園内にあって異彩を放っていた。御殿は後の行啓の都度、休憩所に充てられ、本館は公会堂として使用されていたが、戦後、外地からの引揚者の一時収容所となってからは、全館が公会堂として一般に供されるようになった。

移築

昭和35年 (1960) に市民会館建設のため約50m離れた現在地に曳家によって移築することになったが、その際、移築地に大きな高低差があることもあり、外観は保存されたものの、基礎部分に大幅な改変が施されたほか、本館と御殿との配置関係も並列から鉤の手状に変更された。昭和36年 (1961)の移築拡張工事完成時には、岡崎邸能舞台を一体的に組み合わせた。

公会堂沿革

明治43年(1910)12月 藤山要吉氏より小樽区へ建物寄付願
明治44年(1911)1月 現市民会館敷地内にて工事着手
明治44年(1911)7月 工事完了、同8月皇太子行啓
昭和21~24年(1946~49) 終戦後の海外引揚者を収容
昭和27年 (1952) 7月 淡交会小樽支部より茶室寄付
昭和29年 (1954) 7月 岡崎謙氏より能舞台寄付
昭和35年 (1960)10月 現在地への移転工事着手
昭和36年 (1961) 9月 能舞台を含む拡張移転工事完了
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    上棟式(明治44年6月24日)

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    皇太子出門時の光景(明治44年8月25日)

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    公会堂全景(昭和8年以降)

能舞台について

岡崎邸能舞台の価値

大正15年(1926)1月の能舞台の完成からおよそ1年半後の昭和2年(1927)秋、狩野派第17代狩野秉信を京都から呼び寄せ、2ヶ月をかけて鏡板の松と竹、揚幕板戸の唐獅子を描かせ、同年11月12日には揮毫記念能が開催された。鏡板の揮毫が狩野派によるものであること、能舞台の構成が、屋根は入母屋造り、二軒、柱頭の組み物は出三斗、蟇股は各辺に2個の計8個になっていることなど、岡崎邸能舞台は江戸時代に定められた能舞台の最高の基準を備えている。江戸幕府大棟梁の家柄でもあった平内家の5巻からなる『匠明』中の「舞台」の記述とも合致点が見出され、伝統的な能舞台建築形式にもとづくことが確認されている。

移築再建

能舞台は岡崎謙氏没後の昭和29年(1954)、その遺志により小樽市に寄贈された。しばらく岡崎邸内にあって演能も行われていたが、昭和36年(1961)に公会堂の移築拡張に伴い現在地に再建された。
昭和60年(1985)に公会堂とともに小樽市指定歴史的建造物に定められ、平成5年(1993)から一般に公開されている。

能舞台沿革

大正13年(1924) 佐渡産神代杉、九州産檜他を調達
大正14年(1925)7月 自邸新築とともに能舞台建築に着手
大正15年(1926)1月 竣工、同月舞台開き開催
昭和2年(1927)11月 狩野秉信により鏡板の松竹の絵完成
昭和24年(1949)6月 野口兼資来道記念能開催
昭和29年(1954)7月 岡崎 謙氏より能舞台寄付
昭和36年(1961)8月 舞台解体、同9月現在地へ移転
昭和60年(1985)7月 小樽市指定歴史的建造物
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    岡崎邸内の能舞台(昭和初期)

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    狩野秉信(昭和2年秋)

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    能を舞う岡崎謙氏

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