建物の概要
建物は、主に本館(正面側)と御殿(背面側)からなり、和風建築の様式でまとめ、総建坪は約267坪であった。本館は平屋建で入母屋屋根の正面中央に千鳥破風を据えて瓦葺きとした。車寄は三方を吹き放ち、屋根を唐破風とする。本館の居室は廊下を挟んで広間を左右対称に配した。御殿は「一の間」「二の間」「三の間」の3つの和室からなり、当初は杉皮葺きであったが後に銅板葺きに変えられている。武家屋敷風の屏重門と生け垣に囲まれた趣あるその風姿は花園公園内にあって異彩を放っていた。御殿は後の行啓の都度、休憩所に充てられ、本館は公会堂として使用されていたが、戦後、外地からの引揚者の一時収容所となってからは、全館が公会堂として一般に供されるようになった。
移築
昭和35年 (1960) に市民会館建設のため約50m離れた現在地に曳家によって移築することになったが、その際、移築地に大きな高低差があることもあり、外観は保存されたものの、基礎部分に大幅な改変が施されたほか、本館と御殿との配置関係も並列から鉤の手状に変更された。昭和36年 (1961)の移築拡張工事完成時には、岡崎邸能舞台を一体的に組み合わせた。